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水戸地方裁判所土浦支部 昭和40年(ワ)29号 判決

原告 益子紀英 外一名

被告 国

訴訟代理人 鎌田泰輝 外三名

主文

被告は、原告益子紀英に対し五九五、〇一〇円、原告益子歌子に対し五〇〇、〇〇〇円と右各金員に対する昭和四〇年四月二九日から支払ずみまで各年五分の割合による金員とを支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

この判決は、原告らが被告のため各自一〇〇、〇〇〇円の担保を供託するときは、確定前に執行することができる。ただし、被告が原告らのため各一五〇、〇〇〇円の担保を供託するときは、右仮執行を免れることができる。

事  実 〈省略〉

理由

原告らの長男益子烈が昭和四〇年一月一三日原告ら主張の貯水槽に誤つて転落したため溺死したことは当事者間に争いがないところ、〈証拠省略〉の結果を総合すれば、本件貯水槽は、本件病院正門より左へ曲り裏門へ通じる通路の約二五〇米の進行方向右側にあり、巾約四米一〇、長さ約五米一〇、深さ約一米八五ないし約二米で、地表とほぼ水平に巾約四〇糎のへり石で周囲をかこんであつて、水面は周囲地表より約五糎低く、東半分は水蓮の葉にて覆われている。その用途は初期消防のためのものであり、その周囲の状況はほぼ被告が主張するとおりであつて、本件病院敷地は生垣等で周囲民有地との境は明瞭に区画されているが、烈等が通行した地点付近(以下A点付近という。)は松林であるが、本件事故当時A点付近は病院構外と遮断すべき障害物はなく、自由に構内に出入り出来る状態にあり、また本件貯水槽に通じる前掲通路に接続する踏み固められた通路に使用されたと思われる踏跡が二、三カ所ある。付近住民は、本件病院構内を自由に出入りし、また本件病院構内は子供らの恰好の遊び場となつており、病院職員もこれに対しなんら注意をしていなく、子供らのうち数人は本件貯水槽とほぼ同一の貯水槽に転落し、そのうちには水死した者もあること。本件事故後に後に述べるように本件貯水槽北側、東側に設置された有刺鉄線は消防活動になんら支障とならなく、またその有刺鉄線を設置することによる経済的負担は本件病院の規模等から考えて問題にする程のものでもないと考えられること、A点付近は、旧海軍病院当時は板塀をもつて構外と遮段されていたが、終戦後国立病院に移管されてからは右板塀も破壊され、病院管理者において有刺鉄線も再三に亘つて張り囲らされたが、これをまた破壊され、本件事故当時は有刺鉄線の残骸をわずかに残すのみで遮断物としての用はなさず、また立入禁止の立札も何時かは取り去られ前掲のとおり病院構内に自由に出入りできる状態になつていたこと、本件病院には、昭和三二年頃から守衛とか警備員は配置されていなく、庶務係官等が片手間に一日に何回か院内を巡視する程度で、十分な警備や管理がなされない状態であつたこと、烈は、昭和四〇年一月一三日友人の市川茂朗、近藤正(いずれも当時五年)とともに本件貯水槽付近に遊びに行き水面に張つていた氷を取つて遊んでいるうち誤つて水槽内に転落し、急を知つて馳けつけてきた石塚雪子に救い揚げられたが、同日午后三時二五分本件病院内において死亡したこと(烈らが本件貯水槽付近で遊んでいるうち、烈が誤つて水槽内に転落し、死亡一したことは当事者間に争いがない。)その後ゆりかご幼稚園PTAの申し入れによつてA点付近に遮断物を設け、本件貯水槽東側および北側に有刺鉄線を設置し、本件病院の各所に立入禁止の立札を設けたことを認めることができる。右認定に反する〈証拠省略〉は前掲各証言に照して信用できなく、他に右認定を覆すに足る証拠はない。本件病院構内は、静謐を保ち、みだりに通行する外部の人の出入りを禁止し、患者を安静にして治療に専念させることのできる状態を保持する必要のあることは顕著な事実であり、本件事故は幼児という特殊なものによつて発生した不幸な出来事であるけれども、前掲認定事実を考え合せれば、本件貯水槽自体に不備があつたということはできなく、本件貯水槽にかしがなかつたとしても、前掲認定のような事実聞係からすれば、病院管理者としては、当然現在存在するような程度の危険防止の設備をする義務があるということができ、これが設置義務を怠つた病院管理者に少くとも過失があると解するのを相当とする。しかして、原告ら夫婦が親として長男である烈の前掲認定のような不慮の事故によつて死亡し、このため甚だしい精神的苦悩を受けたことは、容易に認定し得るところであるから、被告は原告ら夫婦の右苦痛に対し慰籍する義務があり、また、原告益子紀英の受けた損害を賠償する義務があるということができる、次に過失相殺の主張について判断するに原告益子紀英本人の供述によれば、原告ら夫婦は、常々烈に危険な場所に立ち入らないよう注意を与えており、本件病院に本件貯水槽のような危険な設備のあることは知らなかつたことを認めることができ他に右認定を覆すに足る証拠はなく、また昭和三五年二月二日生れの当時五年余の烈に自分の行為の責任を弁別するに足る知能を十分に具えていたことを認めることのできる証拠はどこにもないから、原告ら夫婦に監督義務者としての過失があるということはできないのでこの主張は採用することはできない。次に損害の額および慰籍料の額について判断するに、原告益子紀英本人の供述によつて真正に成立したと認められる甲第三号証の一から二三に、同原告本人の供述を綜合すれば、原告益子紀英は、葬式費用として九五、〇一〇円を支払つたことを認めることができるから、原告益子紀英は同額の揖害を蒙つたということができる。

次に慰籍料は前掲認定事実および本件証拠によつて明らかな諸般の事情を考慮すると原告夫婦の慰籍料はそれぞれ五〇〇、〇〇〇円をもつて担当と考える。

そうすれば、被告に対し原告益子紀英が葬式費用五九、〇一〇円と慰籍料五〇〇、〇〇〇円、原告益子歌子が慰籍料五〇〇、〇〇〇円と右各金員に対する本件記録によつて明らかな本訴状送達の翌日である昭和四〇年四月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言およびその免脱の宣言について同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 荒井徳次郎)

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